静竹林文集(一)
4064字程度約14分
2025-01-06
この文集は、わが師である静竹林(せいちくりん)が自ら開設した「静竹林フォーラム」から抜粋した文章です。
著作権は著者に帰属します。引用の際は、必ず著者と出典を明記してください。竹林静語
序文
2004-2-3 15:09:09 投稿
私は儒教、仏教、道教の文字的な定義については、全くの無知と言っても過言ではありません。修行を始めた当初、菩薩様が私に宮、廟、壇、経典、礼法などに触れることを禁じられたからです。
菩薩様は仰いました。「心性が定まらず、心智が開かれていない者は、利益を得る前に害を受ける恐れがある。心智が開かれた者のみが、仏と同じ心を持ち、経典の真髄を知ることができるのだ」
文字とは一つの「定相(固定された形)」であり、見る者の心性の起伏、転換、屈折によって、異なる意境(心の風景)を生じさせます。 また、経典は二千五百年にわたる口伝、記録、遺漏、翻訳、言語の変化を経てきました。 さらに、自称「高僧」たちが勝手に修正を加えたことで、本来の意図から離れてしまっています。
私は尋ねました。「間違いが生じているのなら、なぜ残されているのですか? 破棄すべきではないでしょうか」
菩薩様は仰いました。「間違いには間違いなりの意味があり、すべては天の意思である。仏法が文字に落とされた時点で既に間違いなのだ。さらに間違ったとしても、徳のある者はそこから真理を得るだろう」
私は言いました。「経典の奥義は変化しやすく、ある角度からは正しく見え、別の角度からは間違って見えます。さらに年月を経て真実が失われている。 ならば、どうやって学べばよいのですか。何が真実で、どうすれば失われた心の境地を補えるのでしょうか」
菩薩様は仰いました。「ただ己の心を経典の情境に溶け込ませ、常に心に留め、心で照らし合わせることで、初めて正心(正しい心)を得る。 仏と同じ意境に溶け込んで初めて、仏心を知り、心をもって印をなすことができるのだ」
私は言いました。「それは人と対話する時、誤解が生じて溝ができるのと同じですね。 対話する際、相手の立場に立って、自分の心を相手の心に溶け込ませ、同じ背景や境遇を共有して初めて、相手の心境を知ることができるということですね。
例えば、胃痛で苦しんでいる人を見て、自分が痛みを経験したことがなければ、どんなに想像しても同じ感覚にはなれません。 身内を亡くした悲しみも、経験がなければその胸が張り裂けるような思いは分かりません。
それと同じで、今日の私の『心のあり方』が菩薩様と同じ次元に達していなければ、どうして菩薩の心や経典が表現しようとする本当の『仏心』を知ることができるでしょうか」
菩薩様は微笑んで去っていかれました……。
それ以来、私は善に向かう心を持ち、無理をせず、座禅も読経もしていません。ただ、日々自分の心を菩薩の心に近づけ、嫉まず、恨まず、悔まず、常に「平常心」と「慈悲の心」で自分を戒めています。
怒りや不公平感、貪欲、私欲が生じた時、自分のために言い訳をせず、平常心で内なる心の揺れを静めています。
こうして、一日、一年と時を重ねてきました。
今を生きる....と「無色無相」は矛盾するか?
2004-2-15 18:34:14 投稿
今を生きる....と「無色無相」は矛盾するか?
仏は修行には「大きな智慧」が必要だと説かれました。 人々が「今を生きる」と言うのは、過去に執着せず、未来を心配しないことです。
「我念(自分の考え)」や「我相(自分の姿)」への執着を離れ、さらに「色相(外見的な形)」への執着を離れていく。このように順を追って進んでいけば、矛盾はありません。多くの人生観や経典の理解は、一歩一歩の歩みの中で智慧と解脱を見出していくものです。
「ある宗派の道法や経典が最高だ」という言葉に惑わされて追いかけてはいけません。初心者の私たちは、最も初歩的な教えでさえ一生かけても達成できないかもしれません。地に足がつかないまま高い建物を建てようとする必要はないのです。
経典と真言(呪)
2004-2-15 18:37:38 投稿
数千年の間に、すべての経典や真言は本来の形から大きく変わってしまいました。
例えば、2500年前のサンスクリット語と現代のインドの訛りが同じであるはずがありません。
わざわざチベットやインドまで正しい発音を求めに行く行者は、実は自分がどれほど形にこだわり、執着しているかを証明しているに過ぎません。
すべての真言はただの「文字の形(字相)」です。 大切なのは、心がどう思い、何を悟り、どう行動するかです。
修行は心を修めること
2004-2-15 18:42:10 投稿
修行は心を修めることであり、異なる視点や共感の心で物事を見、客観的な智慧で考え、最も正しい道を選んで歩むことです。
衆生は皆平等です。尽力して実践しましょう。現実には不平等に見えるかもしれませんが、始まりと終わりは平等なのです。
マクロな包容力、智慧ある慈悲
2004-3-31 15:42:02 投稿
マクロな包容力、智慧ある慈悲。
私を含め、誰もが間違いを犯します。 だからこそ、相手の立場に立って自分を納得させる理由を探し、誰にでもやり直す機会を与えます。 同じようなことが私の周りでよく起きます。
間違いを恐れるのではなく、改めないこと、ましてや自分が間違っていると認めないことを恐れるべきです。 顔回(がんかい)は同じ過ちを繰り返しませんでした。
私はいつも静かに、その人が本当に目覚めるのを待っています。 不退転の覚者の境地を目指し、順境には進み、逆境には太極拳のように抗わず、相手の力を利用して対応します。 昨夜の電車で、隣の三人に諸法がどのように通じ合い、普遍であり、「空相」であるかを説明しました。宇宙の諸法は一つの理に基づき、万化します。 この理を一つつかめば、万法は一法から生じ、空法に帰す、これを如来と呼びます。
人生の道は険しく、輪廻から抜け出すのは困難です。他人の過ちを数えるより、相手が本当に悔い改めたなら、寛容でありたいものです。 しかし、その悔い改めは本物でしょうか? 二度と繰り返さないのでしょうか? 誰もが心の中にある物差しで測っています……。
法に定まった形はありません。私も必ずしも正しいとは限りません。結局、一人の人間に過ぎないのです。
読者の皆さんへ。怒った時は、言葉を慎みましょう。 怒りに任せて放たれた言葉は、取り返しのつかない傷跡を残すことがあります。 一度できた傷は、完全には癒えないものです。
輪廻と修行
2004-4-26 19:33:13 投稿
人々はこの世に生を受け、それぞれの運命(定数)を持っています。輪廻転生は絶え間なく、生成、持続、破壊、消滅のサイクルを繰り返します。
修行の道において衆生は平等であり、形や地位、年齢の差はありません。 自然に、心に従って歩むのです。もし生死の輪廻を本当に信じるなら、
こう考えてみてください。 「今世の両親が、前世では恩人だったか、僕だったか、仇だったか、あるいはペットだったか、誰が知るでしょうか。 今世で成功している私が、前世では善人だったか、障害者だったか、動物だったか、誰が知るでしょうか」
自我の名相を捨て、衆生皆平等の心の奥義を悟り、内面から少しずつ実践していく。
今世、人間として生まれ、修行の縁があることを天に感謝すべきです。
修行者が形ばかりの成就を得て、自惚れて神通力を乱用し、自分が神仏の生まれ変わりだと宣伝して信者を集めるなら、
聖人は謙虚であり、自分を誇示しません。ましてや本当の神仏ならなおさらです。智慧を持って、盲目的に従わないようにしましょう。
「九つの仏の教えに一つの魔の言葉」が人々の仏性を蝕みます。似て非なる教えが広まれば、真の末法時代は遠くありません。
世尊はかつて仰いました。「仏法は滅びない。ただ仏法のみが仏法を滅ぼすことができる」 今日の混沌とした世相を見るに、仏陀の予言は的中してしまったと言わざるを得ません。
人々は末法時代に弥勒仏が現れると信じて自らを欺いています。 欲には切りがありません。この時代に仏陀が現れただけでも幸運なのに、次の時代の弥勒仏を求めるのは「貪欲」です。
自ら努力せず助けを求めるような貪欲さを捨てずに、どうして正法を悟れるでしょうか。
門戸を閉ざし、凡人としての寛容な心さえ持たない者に、どうして正法を悟れるでしょうか。 この執着を捨てなければ、悟りもまた妄想に過ぎません。
末世について。縁起縁滅、生成持続破壊消滅は自然の循環です。たとえ天が崩れ地が裂け、地球が消滅しても、それは自然の摂理なのです。
法に定まった形なし(法無常法)
2004-4-26 19:47:15 投稿
真剣に修行し、自分を改善していくと、以前の自分を「愚かだった」と感じる時期が来ます。常に反省し、改善し続ける。
時が経てば、かつて真理だと思っていたものが、もはや真理ではなくなっていることに気づくでしょう。 以前の私は、経典や仏法の知識がほぼゼロでした。時を経て初めて「法無常法」という言葉を知りました。
子供の頃はおもちゃが世界のすべてだと思っていましたが、大人になると後輩がおもちゃやゲームに熱中するのを叱ったりします。
同じ人間でも、同じことに対して全く異なる見方をする。それが「法無常法」です。何事にも固定観念を持たないことが大切です。
私は人より賢いわけではなく、むしろ不器用なので、人一倍心を込めて生きなければならないのです。
業力であり、輪廻であり、共業
2004-4-27 00:33:07 投稿
どの宗教も本旨は良いものですが、現代では自分の教義を誇大広告し、信じれば利益が得られると思わせています。 人間の強欲さを利用しなければ信者が集まらないという現実があり、存続している宗教で利益誘導を使わないものはありません。
天国、仏国、道天、聖境。
これらのメリットを掲げなければ、膨大な信者を引きつけることは難しい。 これが宗教が現実社会で存続するための妥協でもあります。
ただ、多くの宗師が勢力拡大のために奇跡を誇張し、宗教の混乱を招いています。
この混乱は誰の責任でしょうか。
この社会に生きる一人ひとりの責任です。誰もが、盲従や迷信に走らないよう周囲を呼び覚ます責任があります。
私はこの3年間、修行の基礎は修身、修心、修性にあると言い続けてきました。
もし私たちが倫理や公衆道徳を完璧に守れるなら、それこそが修行です。
基本の人間としての道もできていないのに、どうして仏になれるでしょうか。 せいぜい「人間になるための学び」程度でしょう。
人としても未熟なのに、どうして宗師や法師を名乗れるでしょうか。 上が腐れば下も腐ります。誤った師からは正しい弟子は生まれません。
この歪んだ宗教思想を正すのは、極めて困難です。
千年経っても人間の強欲と私欲は変わりません。
利益で集まった信者が、本当に成就するでしょうか。 歴史が答えを出しています。
それでも人類は誤った指導者に惹かれ、間違いを繰り返す。 それが業力であり、輪廻であり、共業なのです。
人生の修行、至る所が道場なり
2004-4-27 00:34:25 投稿
人生の修行、至る所が道場なり。 心を込めて生きれば、あらゆるところに禅機(悟りのきっかけ)があります。 言うのは簡単ですが、実践は難しい。 良い心の導き手がなければ、どこに禅機があるか分かりません。 人生を異なる役割から眺めることで、心の震えが変わります。 これが学習の始まりです。
他人の人生や対処法を観察し、自分のそれと比較する。 そうすることで自分の欠点が見え、改善できます。
感情の問題(愛情の負債)。 多くの人が険しい道を歩んできました。 しかし、感じ方や対処法は人それぞれです。 他人の経験を吸収し、自分なりの円満な解決方法を見出す。 これが修行です。
理性的、感性的、あるいは現実的な問題であっても、すべては同じように進化させます。 数学の公式のように、生活の公式があります。 公式を活用できる人は変化に対応できます。 活用できない人は、ただ答えを暗記するだけです。
それでは、数字が変わっただけで解けなくなります。 人生も同じです。すべての苦しみを自分で経験してから気づくのでは、輪廻から抜け出せません。
輪廻を脱する方法
2004-4-27 00:35:49 投稿
個人的に言えば、仏の境地とは、この循環から抜け出すことです。 しかし、それは「死」とも言えます。 そこには汚れも静止もなく、動きもありません。
もう一つの方法は、輪廻を無視すること。 生老病死の苦しみを無いものとする。 般若心経の境地に達した時、輪廻するかどうかは もはや自分とは無関係になります。
私は後者こそが真の仏だと考えています。 俗世にいながら俗世に染まらない。 あるいは、そもそも俗世など存在しない。
自分の心が俗世を俗世と見なければ、そこにいるかどうかは問題ではありません。 同様に、輪廻を輪廻と見なければ、輪廻という概念そのものから解き放たれます。
空門の中では修行しやすく、紅塵の中では一歩も歩き難い
2004-4-30 00:38:04 投稿
空門(仏門)の中では修行しやすく、紅塵(俗世)の中では一歩も歩き難い。
俗世に身を置きながら、俗世に染まらない。
仏法とはこれほどまでに無常であり、形がないものです。
すべては自分の心がどう対応するかによります。
心経の境地に達すれば、俗世にいながら俗世に染まらずにいられます。
修行の苦難という試練
2004-4-30 00:38:51 投稿
一般に修行には苦難のテストがつきものだと考えられています。 しかし、その実態は?
万法は心から生じ、すべては心が転換させるものです。
物事自体には良い悪い、苦楽の区別はありません。
心がそれを区別するだけです。
しかし、すべてを手放した時、 テストも、人生も、六道輪廻も存在しなくなります。
それでも私たちは輪廻の中にいるのです。 友よ、これを共有しましょう……。
『 励まし 』- 見返りを求めず尽力する
2004-4-30 00:43:24 投稿
見返りを求めずに全力を尽くすこと、それが修行者の基礎です。 誠実に自分に向き合い、天地に恥じないこと、それが人間の本性です。
上には上がいることを忘れてはいけません。 ののしられたら、そのまま聞き流せばよい。それも「空相」を学ぶ機会です。
生活の中に禅機はあります。どのような心境で向き合うかです。 失望せず、気を落とさないこと。
かつて私は真理を知らず、菩薩をののしったことがありました。 しかし菩薩は全力を尽くして私を助けてくれました。その慈悲を知った時、菩薩はただ微笑んでいました。 それ以来、私は挫折しても天を恨まず、生と死を悟りました。 人生は夢のようです。私はただ、別の真理を探しに来ただけなのです。
私もかつて助けられたように、今は人を助けたい。 その思いでここにいます。
真理が見つからない苦しみを知っているからです。 菩薩の導きがなければ、ここまで来られませんでした。 来し方を振り返れば、感慨無量です。
修習の心得
2004-4-30 00:45:15 投稿
修習心得。 常に物事に対して心を込めて向き合いましょう。 常に第三者の視点で自分に問いかけましょう。「今の心の揺れは正しいか? 他人の善意は自然なものか、それとも意識的な思考の結果か?」
路上で他人の遺失物を見つけた時、 一瞬も動揺しないか、それとも少し心が動くか。 菩薩の心境と照らし合わせ、仏心に背いていないかを確認します。
無理をせず、怠らず、自然に、日を重ねる。 時が経ち、昔の自分を振り返ると、 以前の思考がいかに小さく、本当の仏は自分の心の中にいたことに気づくでしょう。
「誰もが菩薩であり、仏である」という言葉は深い意味があります。 人はかつて、他人に同情し、助け、痛みを代わってあげたいと思ったことがあるはずです。 それが狭い意味での「菩薩の心」です。
※広い意味での菩薩心とは、六道すべての衆生や霊に対して慈悲を持つことです。 身内や人間に限らずです。
その瞬間の菩薩の心境を大切にし、一秒、一分、一日と長く保つこと。
その時、あなたは菩薩です! 菩薩は遠くにいるのではなく、あなたの心、自性の中にいます。修行とは経典に執着することではありません。 平常心で、自らを観ることです。
修行の道はどこにでも通じています。入り口は違えど、行き着くところは同じです。 なぜ自分の道だけが正しいと言い張る必要があるのでしょうか。
仏教もキリスト教も、頂点は同じ「善法」です。 人類の狭い心が名利を追い、敵対し、宗教の壁を作っているだけなのです。 ああ……夢のような話です。
物質世界の公式
2004-4-30 00:48:46 投稿
因果論も陰陽太極論も、生命の「動き」です。
動きがあれば軌跡があり、交差や摩擦、衝突が生まれます。
そのプロセスと継続、それが因果であり、太極です。
すべての動きが止まった時、 すべてはゼロに帰ります。 それは始まりであり、
終わりでもあります。
万物は循環という「動き」があって初めて、生命を感じることができるのです。
万象は心から生じる (萬象皆由心生)
2004-6-3 22:07:15 投稿
萬象皆由心生。どのような心で向き合うかによって、「無苦集滅道、無生老病死苦」を学ぶことができます。
『 励まし 』- 真実の悔い改め
2004-6-3 22:08:19 投稿
真実の悔い改め。
真実の悔い改めは口先だけのものではありません。 行動で示し、 誠意を伝えることです。
親愛、愛情、友情、すべてにおいて、 真実の言動こそが大いなる愛へと変わります。
心の遍歴 (心路歷程)
2004-6-3 22:19:03 投稿
人生の最初の20数年、私は屈辱、孤立、裏切りを経験しました。その苦しみで、死にたいと思ったことも何度もありました。
その後の10年は、心の傷を癒す修行の旅でした。多くの「観音様」のような存在が私を助けてくれました。
最初、彼らが誰か分からず、寺院で尋ねましたが、誰も答えられませんでした。
ある老実な三太子の神託で、ようやく彼らが菩薩の心境を体現していることを知りました。
40年の人生を経て、今は「人間として、自分の役割を自然に演じ切る」ことだけを考えています。
投胎転世(生まれ変わり)
2004-6-3 22:58:22 投稿
人はそれぞれ目的を持って生まれてきます。
喜怒哀楽、生老病死を体験し、向き合い方を考えるためです。
人生はサバイバルゲームのようなものです。出口を探し、失敗しても、
大丈夫。
ボタン一つでリセットして、やり直せばいい。
人生は夢のようなものです。
ただ、執着しすぎると、ゲームの中から出られなくなります。
いつか出口を見つけた時、「なぜあんなにゲームに夢中になって、本来の自分を忘れていたのだろう」と笑う日が来るでしょう。
『經典』
2004-6-9 21:11:52 投稿
『經典』
多くの経典は人間によって書かれたものです。釈迦が本当に話したとは思えない言葉も多く含まれています。
特に、他の宗教を攻撃したり、不敬を働けば地獄に落ちると脅したりする内容は、大いなる智慧を持つ者の言葉ではありません。 これらは後世の人間が自分の宗教の地位を固めるために改ざんしたものです。
慈悲深い神仏は、衆生を目覚めるまで静かに待ち、決して脅したりはしません。
盲目的に従うのをやめ、目覚める時はいつでしょうか。
深夜の独白『深夜寄情』
2004-6-9 21:25:33 投稿
修行の理念を教えても、理解できない人からは「邪説」だと思われます。 無私に教えることが必ずしも良い結果を招くとは限りません。
裏切りや誹謗中傷を受けたこともありますが、私は訴えることをせず、ただ「無色無相」を実践することを選びました。 名利を捨て、自分を大切にし、縁のある人だけを助けるようにしています。
泥沼の中で転がるのはやめ、岸に上がって、山の伝説を探しに行きましょう。
『明心見性』
2004-6-9 21:54:04 投稿
『明心見性』
心は無相です。あると思えばあり、ないと思えばありません。 明心見性は自然なもので、言葉で語るものではありません。
知識が飽和するほど、謙虚であるべきです。 知識は文字のゲームですが、智慧は無限の空間です。
###『知命』 2004-6-9 22:01:07 投稿
『知命』 知命とは、楽観的に未来に向き合うこと。 最善の努力をし、最小の期待をする。 解決できなくても、尽くしたなら後悔しない。
不平を言わず、修行の目的を見出すことが本当の「知命」です。
一分耕耘、一分収穫
2004-6-9 22:04:26 投稿
修行に近道はありません。「拈華微笑」で一瞬にして悟ったと言われる人の背後には、果てしない過去世からの努力があることを忘れてはいけません。
是非と真理
2004-6-9 22:05:08 投稿
是非や真理は、議論すればするほど不明瞭になり、心に無明の火を燃え上がらせるだけです。
###謝罪と反省 2004-6-9 22:06:03 投稿 謝罪と反省は、学習と進歩の指標です。自分が正しいと思い込んで改めないなら、それ以上の成長はありません。
逆境
2004-6-9 22:06:46 投稿
逆境は自分自身への検証です。逆縁を善縁に変え、輪廻の目的である学習と円満を目指しましょう。
無題
2004-6-9 22:08:08 投稿
過去、現在、未来の智慧、すべては不可説(言葉にできない)です。霊光がひらめけば、 智慧は海のように循環します。無知な時は志が高く、智慧が開けば謙虚になり、天機を悟れば「無我」のごとくなります。
『三人行、必有我師』
2004-6-9 22:09:28 投稿
他人の過ちは自分を戒める材料とし、他人の長所は学ぶべき点とします。客観的で包容力のある心で接しましょう。
『法性』
2004-6-9 22:10:24 投稿
『法性』
善念を実践して初めて、法性は現れます。文字による説明はあくまで文字に過ぎません。 法性は定まらず、動かず、静かならず。自ら実践して体得するものです。
『修行』
2004-6-9 22:11:04 投稿
『修行』
修行とは無所求、無所念、無所住。すべてを原点である至静、至善の「原仏性」に戻すことです。不器用ながら、全力を尽くしています。
2004-6-9 22:12:14 投稿 修行。
無理をせず、怠らず、尽力するのみです。
『無相』
2004-6-9 22:13:23 投稿
『無相』
生活の不調は修行の成果を測るチャンスです。「人、我、衆生、寿者」の四相がなければ、周りの現象に心は乱されません。すべてを真空幻化と見なせば、感慨にふけることも なくなります。
『空性實相』
2004-6-9 22:16:45 投稿
『空性實相』
文字の解釈にこだわっているうちは、まだ形に執着しています。 自分で実際に歩んでみて初めて理解できるものです。
2004-6-9 22:17:36 投稿
修行有所求、即非修行。
2004-6-9 22:19:24 投稿
知而不為、知識修為化為清風。
『善は真の善にあらず』
2004-6-9 22:21:34 投稿
『善非真善』
功利的な善や見せかけの善は真の善ではありません。蜃気楼を仏国と見間違えてはいけません。
『修行 流行』
2004-6-9 22:23:57 投稿
『修行 流行』
現代では、修行さえもレジャーやファッションのようになっています。 心の平安や金運を求めてお金を払う。それは本当の修行でしょうか。 単なる名相の追求に過ぎないのではないでしょうか。 私はただ「人間」としての役割を静かに演じたいのです。
読者への回答
2004-6-11 21:37:51 投稿
「すべての衆生は死に、磨滅する」という言葉と「不生不滅」という言葉は矛盾しません。 前者は天人の視点(形あるものの終わり)、後者は仏の視点(本質の循環)から語られたものです。 経典の文字に縛られてはいけません。死ぬまで経典を抱えていては、いつまでも目覚めることはできません。
有感
2004-6-13 22:38:48 投稿
人間としての基本ができていないのに、仏法を語ることはできません。 人心は病んでいます。自分で自分を救わなければ、仏も救うことはできません。
2004-6-25 00:16:56 投稿
私は既存の仏教界とは考え方が合いません。私はただの平凡な人間でありたい。 神がいるなら、誠実な善人を選ぶはずです。
積小為大(ちりも積もれば山となる)
2004-7-18 12:01:59 投稿
大海は小さな雨のしずくからできています。お金だけでなく、無駄な時間の浪費や怒りの発散も積み重なっていきます。 自分の人生に何が積み重なっているかを見直しましょう。
変と不変
2004-7-20 23:33:35 投稿
「空相」の心を持ち、万物を自然の摂理として受け入れれば、「変」という概念さえ消えてなくなります。
行者の悲哀
2004-7-20 23:54:12 投稿
口では「無色無相」と言いながら、立派な仏像や寺院を求める。これが行者の悲哀です。
文字相
2004-7-20 23:54:36 投稿
文字は見る者の機縁によって変わります。仏法は生きた教えです。
徳は孤ならず、必ず隣あり
2004-8-27 22:22:53 投稿
多くを語るよりも、中道を守ることが大切です。
明師(導き手)を探して
2004-9-15 14:15:55 投稿
自分の心こそが最高の師であると気づきました。
和合術(縁結び)は本当に効果があるか?
2004-12-13 00:08:51 投稿
和合術に大金を払うよりも、自分の努力を信じるべきです。 愛に溺れるのも、そこから抜け出すのも、すべては自分の暗示次第です。 一人の相手に固執せず、自分を解放しましょう。
ゼロに戻る
2005-9-11 15:23:55 投稿
既存の知識を捨て、すべてをゼロにして世界を見つめてください。 修行とは言葉のゲームではなく、内から外へと向けた真実の力行です。
反省
2005-9-13 00:57:08 投稿
人生は選択の連続です。 反省とは、より良い結果を導くためにあります。 良い「因」を植え、甘美な「果」を得るための内観を大切にしましょう。
全力を尽くし、怠らず、強いない
2005-9-14 20:49:07 投稿
病気やトラブルをすべて霊的なせいにしてはいけません。 それは人為的な不摂生の結果かもしれません。 平常心で向き合い、運命を受け入れつつ、今できる最善を尽くしましょう。
回顧
2007-2-20 01:45:32 投稿
2000年にインターネットを始めてから、多くの修行者を見てきました。 神通力を持ちながら苦海に沈む人もいれば、名利に走る人もいます。 私は良心に従って生き、執着を捨て、縁に従うことをお勧めします。 良心こそが迷い多き人生の唯一の指針です。
自問
2007-9-4 10:38:31 投稿
自分に厳しく、他人に寛大であれるか。
私欲を捨て、言行一致であれるか。
不利益な時でも心が動かないか。
常に自分に問いかけましょう。
無題
2007-9-4 10:39:33 投稿
人生は喜怒哀楽を体験し、どう向き合うかを学ぶプロセスです。
それが夢だと悟った時、名利は「空相」へと変わります。
心経の説く「五蘊皆空」の世界へと近づくのです。
人としての道を学び、心に余裕を持てば、人生という芝居を演じ切ることができます。
台湾宗教の怪現象
2007-9-4 10:41:27 投稿
功徳や極楽浄土のために善を行うのは本末転倒です。
また、立派な車に乗り、豪華な寺院に住む「大師」たちが、破四相を説く矛盾。
真理は言葉にすればするほど、本来の意味から離れていきます。
心に掛かりのない「心無掛礙」の状態こそが、私たちが目指すべき場所です。
『 悟法 誤法 』
2007-9-4 10:42:30 投稿
『 悟法 誤法 』
『 修習心得 』
2007-9-4 10:42:30 投稿
以前の自分の思考がいかに小さかったかを知ります。
談『 明心見性 』
2007-9-4 11:14:20 投稿
心は無相です。
『 修行 斷慾 』
2007-9-4 11:26:39 投稿
『 修行 斷慾 』
『 空門 』
2007-9-4 11:28:32 投稿
『 空門 』
2007-10-15 23:01:55 投稿
すべての出会いは学習です。
有感
2007-10-15 23:20:06 投稿
平常心。
空
2010-2-22 00:11:10 投稿
「空」は不変ではありません。
